華やかな結婚式からわずか4年後の1982年、二人の婚姻関係は突然の終焉を迎えます。当時、長男の孝太郎氏は4歳、次男の進次郎氏は1歳。さらに佳代子さんのお腹には妊娠6ヶ月となる三男・佳長(よしなが)氏が宿っていました。
離婚に至った決定的な理由は、伝統と格式に縛られた小泉家の厳格な家庭内ヒエラルキーにありました。小泉家は純一郎氏の実姉たちが強大な発言力を持ち、選挙活動から私生活、家事の一切を切り盛りする体制が敷かれていたのです。大学を出たばかりの佳代子さんにとって、外部からの意見を受け入れない強固な家族関係や、孤立無援の政治家妻としての重圧は耐え難いものとなっていきました。
純一郎氏への愛情や家族の絆がありながらも、親族間の軋轢と価値観の相違は修復不可能な溝を生み、最終的に身重の佳代子さんが実家へ戻る形で協議離婚が成立しました。