渋沢栄一さんと兼子さんの夫婦には、9人の子供に恵まれました。
しかし、3人は流産、2人は生まれてすぐに亡くなり、実際には成人したのは男3人、女1人です。
子ども達についても調べてみました。
渋沢武之助
渋沢家の三男として誕生した渋沢武之助さん。
高校を卒業後、東京帝国大学法科大学に入学しますが、退学。
その後は、石川島飛行機製作所(現、立飛ホールディングス)の2代目社長、その他数々の会社の取締役や監査役を歴任しました。
渋沢正雄
渋沢家の四男である渋沢正雄さん。
東京帝国大学法科大学経済科(現、東京大学経済科学部)を卒業後、第一銀行に入行。
ですが、たった2年で退職し、自ら渋沢貿易会社を興します。
しかし、その事業は大失敗に終わり、謹慎を命じられたと言います。
その後は東京石川島造船所取締役を就任し、飛行機や自動車製造に尽力。
1929年、石川島自動車製作所(現、いすゞ自動車)を設立し、初代社長に就任しました。
渋沢秀雄
渋沢家の五男である渋沢秀雄さん。
東京帝国大学法科大学仏法科(現、東京大学法学部)に進学しますが、本当は文学に興味を持っていました。
一度だけ、父親である渋沢栄一さんに文学の道への移行希望を伝えたそうです。
その際、渋沢栄一さんは渋沢秀雄さんにこのように言ったのです。
「今のまま法科を卒業して実業界で働いてもらいたい。
文学や絵画は趣味の程度にとどめておいてくれないか。これは命令ではないよ。
儂(わし)が頼むのだよ。」
こう言われた秀雄さんは、文学を諦めてそのまま法科を卒業します。
卒業後、日本興業銀行(現、みずほ銀行)に入行しますが、銀行の仕事に興味を持てず2年で退職。
その後は町を造る会社という点に惹かれ、田園都市株式会社に入社し、のちに取締役に就任。
また、油絵や作家などクリエイターとしても活躍したため、東宝会長になりました。
渋沢愛子
渋沢家の三女である渋沢愛子さん。
渋沢愛子さんは、渋沢栄一さんの部下であり、第一銀行の取締役であった明石照男さんと結婚します。
第一銀行の取締役の妻として、夫を支えたようです。