ビートたけしが描いた『浅草キッド』の哀愁と美学は、令和の今も土屋の血肉となって流れている。下積み時代に浅草の師匠たちから叩き込まれた間の取り方、視線の配り方、客との呼吸の合わせ方は、デジタル全盛の時代にあっても決して色あせることはない。
同時に、TVerやNetflixをはじめとする映像配信の普及によって、劇場に足を運べない層にも質の高い話芸が届くようになった。スマートフォンやタブレットの画面越しであっても、土屋の言葉の粒立ちの良さと表情の機微は鮮明に伝わる。泥臭い浅草の泥水をすすって培った技術が、皮肉にも最先端のグローバルプラットフォームでその強度を証明している。