1998年の秋、東京競馬場の熱気は異常な高まりを見せていた。主役はもちろんサイレンススズカ。同年の宝塚記念を制し、毎日王冠では超満員の観衆の前で次元の違う走りを見せつけていた。迎えた本番、ゲートが開くと同時に馬群を大きく引き離す。前半1000メートルの通過タイムは57秒4。常識外れのハイペースでありながら、手綱を握る名手の手応えには絶対的な余裕が漂っていた。
歓声が悲鳴に変わったのは、3コーナーを過ぎて大欅の木立の陰に入った瞬間だった。左前脚の手根骨粉砕骨折。急激にスピードを失い、馬列から外れていく黄色と緑の勝負服。勝負の行方を見守っていた群衆は言葉を失い、歓声の坩堝だったスタンドは一瞬にして凍りついた。ターフに響くはずの乾いた蹄音は途絶え、誰もが最悪の事態を直感した。