公式の歴史記録を紐解けば、豊臣秀長の直系男子は極めて不遇な運命を辿ったと記されている。秀長の実子であった長男は早世。家督を継いだ養子の秀保(秀吉の姉・ともの子)もまた、わずか17歳で大和川での謎めいた溺死を遂げた。これにより、百万石を誇った大和豊臣家は名目上「改易・断絶」の扱いとなった。
あまりにも不自然な連続死。背後には、権力を一門から我が子・秀頼へと集中させたかった豊臣秀吉の冷酷な政治的思惑が蠢いていたとする見方も根強い。大名家としての秀長家は、こうして歴史の表舞台から突如として抹殺された。