古代の宗教的シンボルだった日の丸が、明確な国家の標識たる「日章旗」へと昇華したのは幕末の動乱期である。黒船来航によって鎖国の夢を破られた日本は、突如として列強がひしめく大海原へと押し出された。海上で自国の船と外国船を瞬時に識別する標旗の制定は、一刻を争う外交・防衛上の急務だった。
この危機に際し、日章旗の採用を幕府へ強力に働きかけたのが薩摩藩主の島津斉彬である。斉彬は西洋列強に対抗するため、日本固有の太陽図案こそが国を代表する旗にふさわしいと見抜いた。安政元年(1854年)、幕府は「御国総標(日本全体の総印)」として日章旗を公認し、ここに近代国家の象徴としての歩みが決定づけられた。