彼の音楽的ルーツを語る上で欠かせないのが、1960年代初頭の渡米経験だ。名門バークリー音楽大学への留学は、日本人ミュージシャンにとって前人未到の挑戦だった。本場のジャズ理論と圧倒的なテクニックを吸収した彼は、帰国後に日本の音楽シーンへ凄まじい衝撃をもたらす。
さらに彼が日本にもたらした最大の功績の一つが、ブラジル音楽であるボサノヴァの本格的な導入だった。まだ誰も聴いたことのなかった哀愁を帯びたサウダージの響き、軽快なシンコペーション。異国の風を自らのフィルターを通して鳴らしたサウンドは、瞬く間に日本中を虜にし、音楽の地平を劇的に押し広げた。