猪木の戦場は四角いマットの上だけにとどまらなかった。1989年、自らスポーツ平和党を結成して参議院議員選挙に出馬。「国会議員に元気がないから、俺が出る」という痛快な啖呵を切り、見事に政界へと殴り込みをかけた。
圧巻だったのは1990年の湾岸危機だ。イラクのサダム・フセイン政権によって多数の日本人が人質に取られた際、政府が外交ルートで苦慮する中、猪木は単身バグダッドへ乗り込んだ。「平和の祭典」と銘打ったイベントを現地で開催し、フセイン政権の高官と直接対峙。結果として人質解放という奇跡を成し遂げた。
「常識を疑え。危険だからこそ行くんだ」。机上の空論を嫌い、自らの身体を危険地帯に晒して結果を掴み取る。言行一致のリアリズムが、ここにあった。