もし高時が民衆や武士すべてから心底憎まれる愚将であったなら、北条氏の血筋がこれほどまでに支持を集め続けることはなかったはずだ。その最大の証拠が、高時の遺児である北条時行の存在である。
幕府滅亡からわずか2年後の1335年、時行は信濃で挙兵し、瞬く間に鎌倉を奪還する「中先代の乱」を引き起こした。この反乱には、建武の新政に失望した旧幕府の御家人や武士たちが雪崩を打って合流している。彼らが命を懸けて掲げた旗印は、紛れもなく「高時の息子」という正統性だった。
時行の奮戦と武士たちの熱狂は、鎌倉の地と得宗家に対して人々が抱いていた信頼の深さを物語っている。高時が守ろうとした幕府の残照は、滅亡後もなお武士たちの心を捉えて離さなかったのだ。