暗殺の実行犯が公暁である点に異論の余地はない。父である2代将軍・源頼家が無念の死を遂げた記憶を宿し、自らこそが正統な後継者であると信じ込んだ青年の狂気――事件は一見、私怨による単独犯行の構図をとる。
しかし、中世史の研究者たちが長年着目してきたのは、その背後に潜む「黒幕」の存在だ。有力な仮説として浮上し続けてきたのは主に3つの系統である。執権として幕府の実権を握りつつあった北条義時による謀殺説、幕府宿老でありながら独自の勢力を誇った三浦義村の関与説、そして幕府の統制を嫌った後鳥羽上皇ら朝廷側の策動説だ。
公暁が実朝を討ち取った直後、三浦義村のもとへ「次の将軍たるべきは自分である」と使者を送っている事実は見逃せない。義村が一度は公暁に同調する素振りを見せながら、即座に北条義時へ通報し、公暁を誅殺させた経緯は、義村による教唆と切り捨ての疑いを色濃く残す。一方で、近年の中世史研究では、公暁が自身の宗教的・血統的権威を過信した末の単独暴走説も再評価されている。綿密な陰謀劇か、偶発的な狂言か。残された史料の行間には、今も複数の真実が拮抗している。