もんじゅの運命を決定づけた最大の事件が、初送電からわずか数か月後の1995年12月8日に発生した二次冷却系ナトリウム漏れ事故です。配管に設置された温度計のさや(ウェル)が流力振動によって破損し、推定約640キログラムの高温ナトリウムが配管室内に流出。空気中の酸素と水分に反応して激しい火災が発生し、部屋の鋼製床板が腐食・溶融する甚大な被害をもたらしました。
技術的な欠陥以上に社会へ激震を与えたのが、当時の運営母体であった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)による事故状況を記録したビデオテープの組織的な隠蔽工作です。現場を調査した職員が撮影した生々しい映像が存在したにもかかわらず、「ビデオは撮影していなかった」と虚偽の説明を行い、後に公開された映像も都合の悪い部分がカットされた編集版でした。
この露骨な情報隠蔽は国民や地元・福井県敦賀市の激しい怒りを買い、原子力行政に対する信頼を根底から失墜させました。この事故を機にもんじゅは長期の運転停止に追い込まれ、動燃は解体・再編され、現在の日本原子力研究開発機構(JAEA)へと移行することになります。