慶長5年(1600年)、日本中を揺るがした関ヶ原の戦い。その本戦地である関ケ原の目と鼻の先に位置するのが垂井だ。実は、この地は単なる通過点ではなかった。
陣を敷いた毛利秀元や吉川広家ら南宮山の西軍勢は、垂井を見下ろす高台に陣取っていた。しかし、家康に内通していた吉川広家の「宰相様の弁当使い」という前代未聞の口実により、西軍の大軍勢は動くことができなかった。毛利勢が足止めを食らったこの垂井の地理的配置こそが、徳川東軍に勝利をもたらした隠れた勝因だったのだ。街道の要所ゆえの緊張感が、この地に凝縮されていた。