歳月が経過した今、当時の政治・経済ジャーナリズムが果たした役割に対する自己批判的な検証も本格化している。短切れに切り取られた映像とセンセーショナルなバッシング報道が先行し、彼が実行した歴史的政策の成果や国際的外交の文脈が完全に削ぎ落とされていた事実は否めない。
近年高い評価を得ている政治ドキュメンタリー作品群は、単なるスキャンダリズムの消費を脱し、政策決定過程の複雑さやメディア報道が持つ暴力性を冷静に分析している。一人の非凡な政治家の失脚劇を通して、報道機関が真に語るべきであった事実は何だったのかという根本的な問いが、現代のジャーナリストたちに突きつけられている。