戦争が終わり、晩年を迎えた荷風の足取りは、焼け跡から復興へと向かう「浅草」へと向かいます。昭和20年代後半から亡くなる昭和34年まで、荷風は浅草のロック座をはじめとする劇場街に入り浸り、踊り子(ストリッパー)たちの楽屋を日常の居場所としました。 文学界の重鎮でありながら、肩書を捨て去り、ボストンバッグに大金と通帳を詰め込んで浅草の裏通りを徘徊する荷風の姿は、当時格好のスキャンダルとして報じられました。しかし『断腸亭日乗』に記された踊り子たちとの交流は、単なる老人の好色趣味で片付けられるものではありません。 荷風は彼女たちを「時代の最前線でたくましく生きる労働者」として敬意を払い、その生活苦に財布を開き、楽屋裏の悲喜劇を温かくも醒めた筆致で活写しました。文壇の権威や大学教授といった知識人階級を「偽善者」と毛嫌いした荷風にとって、己の肉体一つで観客と対峙する浅草の女性たちこそが、最も信頼に足る純粋な人間だったのです。孤独を愛しながらも人肌の温もりを渇望し続けた文豪の赤裸々な心理が、読者の胸を打ちます。
永井荷風『断腸亭日乗』の凄みとは?戦争と浅草を記録した孤高の日記
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