近代日本の政治史において、西園寺の果たした最大の功績の一つが政党政治の基礎固めである。明治の巨頭である伊藤博文とタクトを合わせた彼は、1900年の立憲政友会創設に深く関与した。藩閥政治からの脱脚を図り、議会を中心とする政治構造への転換を目指した英断だった。
伊藤から総裁職を引き継いだ西園寺は、激化する桂太郎との「桂園時代」を演出した。政敵と激しく対峙しながらも妥協点を見出す柔軟性と、政党内派閥を巧みに操るバランス感覚は抜きん出ていた。権力闘争の最前線に立ちながらも、立憲主義の原則だけは断固として譲らない姿勢が、日本に二大政党制の萌芽をもたらした。