大本教を語る上で避けて通れないのが、実質的な指導者であった出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)の存在だ。彼は「芸術は宗教の母胎なり」という強烈なスローガンを掲げ、自らも陶芸や絵画、演劇、短歌など多岐にわたる創作活動に没頭した。この思想が、当時の文化人や表現者たちを強烈に惹きつけたのは歴史的事実である。
大正期、大本の聖地である京都府綾部市や亀岡市には、多くの知識人や芸術家が出入りしていた。近代日本の演劇界や伝統芸能の担い手たちの中にも、王仁三郎のカリスマ性に魅了され、教えを乞う者が少なくなかった。この歴史的土壌こそが、現代において「芸能界の裏に大本あり」と囁かれる最大の源流となっている。