渡辺二郎のボクシング人生は、日本の格闘技史において特異な輝きを放っていました。関西大学時代に日本拳法で全日本学生選手権を連覇するなど圧倒的な実績を残した後、異例の形でプロボクシングへ転向。拳法仕込みの鋭い踏み込みとサウスポースタイル、そして恐ろしいまでの打たれ強さと距離感を武器に、破竹の勢いで階段を駆け上がりました。
プロデビュー後はわずか8戦目で日本王座、12戦目で名王者ラファエル・ペドロサを破りWBA世界スーパーフライ級王座を奪取。この王座を6度防衛した後、WBC王者パヤオ・プーンタラットとの統一戦を強行して勝利し、日本人初となる同一階級での2団体王座奪取を成し遂げました(※当時のWBAは統一戦を認可せず王座を剥奪)。通算戦績は28戦26勝(17KO)2敗。精密機械のように的確なコンビネーションブローと冷徹なリングIQは、専門家から「歴代日本人サウスポーでも屈指の完成度」と絶賛されたのです。
しかし、1986年のヒルベルト・ローマン戦で判定負けを喫して王座から陥落すると、網膜剥離の疑いもあり31歳で突如現役を引退。引退セレモニーのリングで見せた涙の裏で、引退後の明確なロードマップを描けないままリングを降りたことが、その後の悲劇的な転落劇の引き金となりました。