欲求の探求は、近代心理学の歴史そのものでもある。精神分析の創始者ジークムント・フロイトは、性衝動(リビドー)を中心とする無意識のエネルギー「エス」が人間行動の根底にあると喝破した。理性的な自我(エゴ)が本能を抑圧する過程で生じる歪みこそが、不安や神経症の温床になると論じたのだ。
一方、人間性心理学の旗手アブラハム・マズローは、人間を衝動の奴隷とは見なさなかった。かの有名な「自己実現理論(欲求の5段階説)」において、三大欲求を土台となる「生理的欲求」に位置づけ、それが満たされて初めて安全、所属、承認、そして自己実現という高次のステージへと昇華されると提唱した。
だが現代の臨床心理学が直面しているのは、土台であるはずの生理的欲求が満たされているにもかかわらず、高次への階段を踏み外す人々の姿だ。食も睡眠も性も、ボタン一つで疑似体験・過剰消費できる環境が整った結果、マズローのピラミッドそのものが歪み始めている。