升田幸三の経歴を語る上で避けて通れないのが、1952年(昭和27年)の第1期王将戦第6局で起きた「陣屋事件」です。この対局は、升田が木村義雄名人を相手に3連勝し、規定により名人を「香落ち」に指し込むという前代未聞の歴史的一局でした。
対局場となった神奈川県鶴巻温泉の老舗旅館「陣屋」に到着した升田ですが、宿側の出迎えがなく、ベルを鳴らしても誰も応対に出ないという事態が発生します。極度の緊張とプレッシャーを抱えて現地入りした升田は、この宿側の無礼と連盟の配慮不足に激怒し、宿泊を拒否して近隣の別館へ移動。翌日の対局にも姿を現さず、不戦敗となりました。
当時、マスコミや世間からは「升田の増長」「我が儘による対局放棄」と激しいバッシングを浴び、一時は将棋連盟からの除名処分すら取り沙汰されました。しかし、当時の関係者の手記や後年の検証によると、真相は単純な傲慢さによるものではありませんでした。
当時の名人制は絶対的な権威であり、「名人を香落ちで指す」ことは将棋界の秩序を根底から揺るがす重大事でした。木村名人のプライドと升田の執念が極限まで張り詰める中、主催紙や連盟側の連絡ミス、宿側の不慣れな対応が重なり、張り詰めた糸が切れた結果だったのです。陣屋事件は、勝負師としての尊厳と格式を何よりも重んじた升田の、妥協を許さない生き様が引き起こした宿命の衝突でした。