ヘリ基地反対協議会とは何か|辺野古座り込みの現在と対立の真相

ヘリ基地反対協議会とは何か|辺野古座り込みの現在と対立の真相

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ヘリ基地反対協議会の歴史を紐解くには、1995年9月に発生した米兵による少女暴行事件にまで遡る必要があります。この悲惨な事件をきっかけに沖縄県全域で基地負担に対する怒りが沸騰し、日米両政府は1996年、市街地の中心に位置し「世界一危険」と称される米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の全面返還で合意しました(SACO合意)。

しかし返還の条件とされたのが、沖縄県内における「代替施設の建設」でした。その候補地として浮上したのが、名護市辺野古の沿岸部です。これに対し、地元住民や労働組合、平和団体、市民運動家が危機感を強め、1997年12月に実施された名護市民投票において、ヘリ基地建設反対票が過半数(52.88%)を獲得しました。この市民投票運動の熱量を受け皿として、地元名護で正式に結成された連合体が「ヘリ基地反対協議会」です。

結成当初から、協議会は「海にも陸にも新しい基地は造らせない」というスローガンを掲げてきました。初代の共同代表をはじめ、地元名護の住民指導者たちが運動の舵取りを行い、2004年には当時の日本政府が推進した辺野古沖への海上ヘリ基地建設に向けたボーリング調査に対し、カヌーや小型船を繰り出して海上で阻止行動を展開。当時の計画を事実上の断念へと追い込んだ実績を持ちます。その後、現在の沿岸部埋め立て計画(V字滑走路案)へと政府方針が変更されて以降も、反対運動の最前線として活動を継続しています。

山田 真由
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山田 真由

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