岸信介と佐藤栄作はなぜ苗字が違う?実の兄弟が分かれた養子縁組の真相

岸信介と佐藤栄作はなぜ苗字が違う?実の兄弟が分かれた養子縁組の真相

岸信介と佐藤栄作はなぜ苗字が違う?実の兄弟が分かれた養子縁組の真相について見逃せない ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。

当時の地元・山口県では、佐藤家の3人の息子たちは「類まれなる秀才三兄弟」として広く知れ渡っていました。世間では政治の世界で頂点を極めた信介と栄作の2人にスポットが当たりがちですが、関係者の間では「長男の市郎こそが一族で最も頭脳明晰だった」と語り継がれています。

長男の佐藤市郎は海軍兵学校を次席、海軍大学校を首席で卒業し、海軍中将まで上り詰めた傑物でした。岸信介自身も後年のインタビューや回想録の中で、「頭の良さでは兄貴の市郎には到底かなわなかった」と素直に認めています。

次男の岸信介は東京帝国大学法学部を首席級の成績で卒業して農商務省(後の商工省)へ進み、「昭和の妖怪」「革新官僚」の異名をとる剛腕政治家へと成長しました。一方、三男の佐藤栄作も同じく東京帝国大学法学部を卒業後、鉄道省に入省。「人事の佐藤」と呼ばれる緻密な調整力と政治勘を磨き上げました。

ネット上や一部の俗説では「苗字が違うため政治的ライバルとして激しく反目し合っていたのではないか」という確執説が語られることがありますが、一次史料や当時の関係者の証言が示す実態は全く異なります。

佐藤栄作の日記や側近の証言録によれば、信介がA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監されていた際、栄作は官僚の立場を賭けて兄の釈放や生活支援に奔走しました。また、信介が首相として日米安保条約の改定を成し遂げて退陣した際、後継の池田勇人内閣を支え、その後に長期政権を築いた栄作の背後には、常に兄・信介の政治的人脈と大物フィクサーとしての後押しがありました。表向きの政治手法(剛腕の岸、調整の佐藤)は対照的でありながら、根底では強固な兄弟の信頼関係で結ばれていたのが真相です。

佐々木 一輝
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佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。