1980年代初頭、日本の音楽界には「歌謡曲(アイドル)」と「ニューミュージック(シンガーソングライター)」の間に明確な境界線が存在していました。自ら作詞作曲を手がけるアーティストが、テレビ番組を中心に活躍するトップアイドルへ曲を提供することは、当時のファンカルチャーにおいて大きなハレーションを伴う行為だったのです。
その壁を打ち破るきっかけを作ったのが、松田聖子のプロデュースを手がけていた作詞家・松本隆でした。松本隆は、聖子のファン層が男性中心に偏っている現状を打破し、同世代の女性ファンを獲得するためにユーミンのメロディセンスが不可欠だと確信。極秘裏に楽曲制作を依頼します。
オファーを受けたユーミンは、自身の活動との差別化を図り、また純粋に「曲そのものの力」で勝負するためにペンネームの使用を決断しました。こうして生まれたのが、往年の伝説的ハリウッド女優グレタ・ガルボの名をもじった「呉田軽穂(くれだ かるほ)」という名義です。ユーミンは後に、「ライバルに塩を送るようなものだったが、作家としての血が騒いだ」と振り返っています。