是川銀蔵の名を世界的な伝説へと昇華させた最大の功績が、1980年代初頭における住友金属鉱山株式会社(住友金属鉱山)への集中投資である。当時の市場では誰も見向きもしなかった同社株に、彼は一丸となって資金を投入した。その背景にあったのは、類稀なる「現場主義」と先見の明だ。
鹿児島県菱刈町(現・伊佐市)で発見された菱刈鉱山について、是川は地質データや金鉱床の品位を独自に精査。世界最高水準の金含有量を誇る超有望鉱山であることを確信すると、株価がまだ低迷していた時期から膨大な株を買い集めた。当時の市場参加者は彼の動きを無謀と笑ったが、金鉱脈の発掘が発表されるや株価は暴騰。是川は200億円を超える巨額の利益を叩き出した。
この取引で彼が見せたのは、単なるギャンブルではない。自らの足と頭で得た一次情報に基づき、市場の誤謬を突いて買い向かう徹底した「価値投資」の極意だった。住友金属鉱山での勝利は、現代の投資家にとっても「情報の質」と「決断のタイミング」の本質を教える格好のケーススタディといえる。