渋沢栄一が「日本資本主義の父」と称される理由は、彼が立ち上げや育成に関与した企業の数と、その事業の社会的重要性にあります。
1840年、現在の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれた渋沢は、尊王攘夷派の志士から一転して一橋慶喜(後の第15代将軍・徳川慶喜)に仕え、幕臣となりました。1867年のパリ万国博覧会随行を機に欧州の進んだ資本主義制度や合本組織(株式会社)の仕組みを直接学び、帰国後は明治新政府の大蔵省で貨幣制度や租税制度の整備に尽力します。
民間実業家に転じてからは、日本初の銀行である「第一国立銀行(現・みずほ銀行)」をはじめ、東京証券取引所、東京瓦斯(東京ガス)、帝国ホテル、王子製紙(現・王子ホールディングス)、サッポロビールなど、およそ500以上もの企業・団体の設立・経営指導に関わりました。
渋沢の真骨頂は、単なる私利私欲の蓄財を戒め、倫理と利益の一致を説いた『論語と算盤』の思想(道徳経済合一説)にあります。富の一極集中を嫌い、福祉施設「養育院」の運営や一橋大学・東京経済大学・日本女子大学などの教育機関の支援といった約600の社会公共事業にも私財と情熱を注ぎ込みました。