野田聖子氏の人生を語る上で欠かせないのが、50歳での出産と、重度障害を抱える愛息・真輝くんとの日々の闘いです。過酷な不妊治療の末、自身の卵子での妊娠が不可能となった野田氏は、アメリカへ渡り第三者からの卵子提供を受ける決断を下しました。
2011年1月、夫の精子と提供卵子による体外受精を経て、50歳で男児を出産。しかし、誕生した息子は臍帯ヘルニア、食道閉鎖症、心疾患、そして脳梗塞による右半身麻痺という、複数の重い障害と先天性疾患を抱えていました。
出産直後から息子は幾度もの大手術を経験し、気管切開や人工呼吸器の装着、胃ろうからの栄養摂取など、24時間の医療的ケアを必要とする状態が続きました。当時の様子について野田氏は、「息子の心拍モニターのアラームに怯えながら、一睡もできない夜が何ヶ月も続いた」と手記に書き残しています。
ここで家族の支柱となったのが、野田聖子の旦那の現在へと繋がる文信氏の徹底した覚悟でした。文信氏は自身の事業を完全に整理し、息子の介護と家事に専念する「専業主夫」となりました。痰の吸引、胃ろうからの注入、リハビリの付き添い、日々の学校送迎など、高度な医療的ケア児の育児を一手に引き受けてきたのです。