織田と浅井の同盟を確固たるものにするため、お市が小谷城へ足を踏み入れたのは永禄年間のことだ。当時の同盟は単なる政略結婚にとどまらず、京への上洛ルートを確保するための信長にとっての生命線だった。長政との間に二男三女をもうけ、睦まじい夫婦生活を送っていたとされるお市だが、1570年の金ヶ崎の戦いで運命は急転直下する。
朝倉氏と浅井氏の長年の同盟関係を理由に、長政は信長を背後から挟み撃ちにする決断を下した。この窮地を信長に知らせるため、お市が両端を縛った小豆の袋を陣中に届けさせ、「袋の鼠」であることを伝えたというエピソードはあまりにも有名だ。近年の学説では、この逸話は後世の創作とする見方が優勢であるものの、お市が織田側の情報源として極めて高度な緊迫感を維持していた事実は否定できない。信長は妹の置かれた情勢を鋭く察知し、電光石火の撤退戦を展開。歴史に残る撤退劇「金ヶ崎の退き口」の裏には、兄妹の互いに対する異様なまでの勘の冴えが存在していた。