富士山が記録上、最後に噴火したのは1707年12月16日(旧暦:宝永4年11月23日)のことです。歴史上「宝永大噴火(ほうえいだいふんか)」と呼ばれるこの大噴火は、山頂からではなく、南東斜面に突如として出現した3つの火口から爆発的に発生しました。
噴火活動は昼夜を問わず16日間にわたって継続しました。噴煙の高さは上空20キロメートル以上の成層圏にまで達し、放出された火山灰や軽石の総量は約7億立方メートル(東京ドーム約560個分)に上ったと推計されています。
偏西風に乗った火山灰は、山麓の集落を埋め尽くしただけでなく、約100km東に位置する江戸(現在の東京都心)にまで到達しました。当時の記録『折たく柴の記』(新井白石著)には、「昼間であるにもかかわらず空一面が黒雲に覆われ、行灯(あんどん)を灯さなければ文字すら読めなかった」という生々しい被害状況が記されています。江戸の街には数センチから十数センチの火山灰が堆積し、呼吸器系の疾患や家屋の倒壊、農作物の全滅など、未曾有の二次災害を引き起こしました。