15歳でスクリーンデビューを果たした彼を取り巻いた環境は、およそ一人の少年が耐え得るものではなかった。『ベニスに死す』の撮影現場でルキノ・ヴィスコンティ監督が彼に向けた視線は、芸術的執着そのものだった。完璧な美を追求する名匠の指導は苛烈を極め、完璧な客観物としての立ち振る舞いを求められた。彼の美しさは賞賛されたのではない。解剖され、観察され、映画産業という巨大なシステムによって徹底的に商品化されたのだ。
映画の公開後、彼は一躍時の人となった。来日時には爆発的なフィーバーが巻き起こり、過密なスケジュールとファンの熱狂によって精神的な限界へと追い詰められた。音楽活動やCM出演に追われる日々の中で、彼の人間としての尊厳や感情は置き去りにされたままであった。思春期の多感な時期に「世界の美の基準」として持ち上げられた代償は、その後の数十年間に及ぶ深い心の孤立となって彼を苦しめることになる。