朝鮮通信使をわかりやすく説明すると、室町時代から江戸時代にかけて朝鮮王朝から日本の将軍のもとへ派遣された公式な外交使節団のことです。なかでも一般的に広く知られているのは、江戸時代における計12回の来日記録です。「通信」という言葉には「信(まこと)を通わし、互いに信頼を取り交わす」という意味が込められています。
この使節団がなぜ送られたのか、その歴史的背景には深刻な戦争の爪痕がありました。16世紀末、豊臣秀吉が企てた2度にわたる朝鮮侵略により、朝鮮半島は壊滅的な打撃を受け、日朝間の外交関係は完全に崩壊していました。
朝鮮王朝側の派遣の目的は、時期によって変化しています。初期(第1回〜第3回)は「回答兼刷還使(かいとうけんさっかんし)」と呼ばれ、日本の国書に対する返答と、戦争中に日本へ連行された数万人にのぼる朝鮮人捕虜の解放・帰還(刷還)が最大の任務でした。同時に、日本が再び侵略戦争を仕掛けてこないかという国内情勢の偵察も兼ねていました。
その後、関係が安定した第4回以降は、徳川将軍の代替わりや幕府の慶事(世継ぎの誕生など)を祝う純粋な祝賀・友好使節へと性格を変えていきました。