この寺の歴史は、鎌倉幕府の中枢を生きた武将の死から始まる。第5代執権・北条時頼の三男である北条宗政が29歳の若さで亡くなった際、その菩提を慰めるために弘安4年(1281年)頃に創建された。開基は北条宗政の幼少の息子・師時(のちの第10代執権)だが、幼少だったため母や叔父が支え、中国・宋から渡来した異国僧の兀庵普寧(ごつあんふねい)らを開山に迎えた歴史を持つ。
当時の最高峰の禅宗文化が集約された境内は、格付け制度である「鎌倉五山」において第四位という高い寺格を与えられた。政治的混迷を極めた幕府の庇護を受け、中国大陸の最先端知識と禅の精神が融合した一大拠点として繁栄を極めた背景には、悲運の武将への深い哀悼の意が込められていたのだ。