名古屋を中心とする中京圏で味噌が圧倒的な存在感を放つ最大の理由は、戦国時代の軍事戦略にまでさかのぼります。三河(現在の愛知県東部)の出身である徳川家康は、過酷な合戦を勝ち抜くための兵糧として豆味噌を極めて高く評価していました。
一般的な米味噌や麦味噌は高温多湿の環境下で発酵が進みすぎると傷みやすく、長期間の携帯には向きません。一方で、大豆・塩・水のみを原料とし、長期間熟成させる豆味噌は水分量が少なく、陣中で腐敗しにくい抜群の保存性を誇りました。さらに植物性タンパク質や必須アミノ酸が豊富に含まれており、兵士たちのスタミナ維持に直結する「最強の携帯食」だったのです。
家康公自身も健康維持のために豆味噌を欠かさず食し、当時の平均寿命を大きく上回る73歳という長寿を全うしました。天下統一を果たした後も、尾張徳川家が治める名古屋の地で豆味噌造りは手厚く保護され、武士だけでなく町民の日常食としても広く定着していきました。