このストリートの歴史は、1970年代に大手予備校が相次いで進出したことから幕を開けました。当時、水島塾や九州英数学館、駿台予備校などの校舎が立ち並び、通り一帯は志望校合格を目指す大勢の浪人生たちであふれかえっていました。
厳しい受験勉強の合間を縫って、若者たちが安価な喫茶店や雀荘、居酒屋に足を運ぶ姿を見た地元の人々が、「親に高い学費を払わせながら遊んでいる」と愛着や自虐を込めて親不孝通りと呼び始めたのが名前の発祥です。正式な道路名称は「天神よろず町通り」ですが、通称の方が圧倒的な知名度を獲得していきました。
1980年代後半から1990年代のバブル期に入ると、街の様相は一変します。巨大ディスコ「マリアクラブ」や「マハラジャ」をはじめ、数々のクラブやバーがオープン。予備校街から一転して、九州全域の若者が集まる最先端のナイトカルチャー発信地へと変貌を遂げました。