吉見百穴が他の古代遺跡と決定的に異なる点は、山麓の最下部に大きく穿たれた巨大な四角い地下トンネルの存在です。これは古代人が彫ったものではなく、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)末から1945年にかけて極秘裏に掘削された地下軍需工場跡です。
当時、米軍による本土空襲が激化するなか、軍部は航空機エンジンを製造していた「中島飛行機大宮製作所」の地下移転を決定。硬い岩盤ではなく掘削しやすい凝灰質砂岩で構成されていた吉見百穴の丘陵地が標的となり、大規模なトンネル工事が強行されました。当時の工事記録や関係者の証言によると、昼夜を分かたぬ突貫工事により、約3,000人から3,500人規模の労働者が動員され、碁盤の目状に地下壕が張り巡らされました。
この軍事工事によって、丘の基部にあった貴重な古代横穴墓が数十基単位でダイナマイトにより破壊・消滅しました。現在でも、古代の丸みを帯びた小さな玄室の奥が突如として巨大な軍用トンネルへ貫通している異様な光景が確認できます。古代人の祈りの場と近代戦争の極限状態が物理的に激突した爪痕こそが、吉見百穴が放つ特異な空気感の根源です。