明治政府の権力構造は、決して一枚岩ではなかった。大隈の前に常に立ちはだかったのが、同じく近代化を牽引した伊藤博文である。急進的な立憲政治の導入を求める大隈と、慎重に皇室中心の憲法制定を進めたい伊藤。両者の対立は1881年の「明治十四年の政変」で頂点に達し、大隈は政府を追放されることになった。
下野した大隈は即座に立憲改進党を結成し、議会政治の実現に向けて舵を切る。自由民権運動を主導していた板垣退助とは、思想的な違いを超えて時に手を組み、時に激しく火花を散らした。1898年には日本初となる政党内閣「隈板内閣」を板垣とともに樹立。権謀術数が渦巻く明治の政界において、ライバルたちと競い合いながら民主主義の種を蒔き続けたドラマは、現代の政治力学にも通底するスリルを秘めている。