太宰の入水自殺から22年後、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決を遂げた。自らの美学の極致を描いた短編『憂国』の世界を現実のものとするかのようなその凄絶な幕引きは、世界中に計り知れない衝撃を与えた。
太宰の死を「冷水摩擦でもしていれば治る類の病」と冷笑し、女と心中した弱さを生涯軽蔑し続けた三島。しかし、彼が選んだ死もまた、あらかじめ完璧に演出された劇的な自己劇化であったという点で、太宰の死と奇妙な符合を見せている。
三島は死の直前まで、自著のエッセイなどで太宰への言及を繰り返した。本当に無価値な存在であれば、黙殺すれば済むはずだった。生涯にわたって太宰という亡霊を撃ち落とそうとし続けた事実そのものが、三島の精神の最も柔らかい部分に、太宰の毒が深く回っていたことを物語っている。