「暴れん坊将軍」として親しまれる第8代将軍・徳川吉宗にも、根強い徳川吉宗の御落胤伝説が存在します。質素倹約と庶民的な政策で知られた吉宗ですが、紀州藩主時代から奔放な女性関係の逸話が絶えませんでした。
吉宗の落胤をめぐる最大の事件が、享保13年(1728年)に発覚した「天一坊事件(てんいちぼうじけん)」です。山伏の天一坊改め源氏坊改長(げんじぼうかいちょう)と名乗る青年が、「自分は吉宗公が紀州藩主時代に町娘に産ませた御落胤である」と主張し、墨付き(証拠の書状)を掲げて大名行列さながらの勢力で江戸へ乗り込んできました。
困窮する浪人や町人たちが「将来の若君」と信じ込んで群がり、数千人規模の支持者を集める大騒動へと発展。事態を重く見た幕府は勘定奉行の稲生正武らに徹底調査を命じ、最終的に書状は精巧な偽物であり、天一坊は希代の詐欺師であったとして死刑に処されました。身分制度が固定化した江戸時代において、御落胤伝説は一攫千金を狙う野心家にとって最大の武器でもあったのです。