戦後の焼け野原が残る東京。麻布の一角で、根本家は明日食べるものにも事欠く困窮の中にあつた。大工の父・兵七の収入は不安定で、家計の重圧はすべて母・根本福島の肩にかかっていた。脚に障がいを抱え、歩行すら自由ではなかった福島だが、夜遅くまで裁縫や内職の手を休めることはなかった。
彼女を知る近隣の古老は振り返る。「福島さんは体の痛みを一切口に出さず、ただひたすら針を動かしていた。子どもたちにひもじい思いをさせまいとする一心だったのだろう」。過酷な環境下にあっても、我が子には礼儀作法を厳しく教え、気品を失わせなかった。その徹底したしつけと深い情愛こそが、のちに世界を相手に渡り歩く娘の背骨を形作った。