ポツダム宣言受諾に至るまでの過程は、綱渡りの連続だった。1945年8月、戦局の悪化と原子爆弾の投下、そしてソビエト連邦の参戦という絶体絶命の危機に直面した鈴木貫太郎首相は、閣内不一致を打開すべく異例の「聖断」を仰ぐ決断を下す。
最高戦争指導会議での緊迫した議論、昭和天皇の静かな決意。しかし、決定が下された後も暗雲は去らなかった。陸軍の一部若手将校らがクーデターを企て、皇居(宮城)を占拠して録音レコードの奪還を図った「宮城事件」である。この夜の壮絶な攻防は、後に映画やノンフィクション作品『日本のいちばん長い日』としても語り継がれ、歴史の分岐点として知られることとなった。
宮内庁の奥深くに保存された記録や、関係者の回想録を検証すると、8月15日正午の放送が無事に成立したこと自体が、いくつもの偶然と個人の泥臭い執念の結実であったことがよくわかる。