円楽さんは単なるタレント司会者にとどまらず、伝統芸能としての落語の未来を誰よりも真剣に憂慮していた革新者でした。落語協会を脱退した後は自ら「圓楽一門会」を立ち上げ、一門の弟子たちの育成と活動拠点の確保に奔走しました。
その象徴と言えるのが、私財を投入して東京都江東区に建設した寄席「寄席若竹」です。当時の落語界では常識外れとされた個人の寄席建設に踏み切った背景には、弟子たちが腕を磨く場所を作りたいという圧倒的な情熱がありました。経済的な多額の負債を抱える結果となりましたが、その心意気は後進の噺家たちに多大な刺激を与えました。
自らの身を削ってでも落語の伝統を守り、次世代へ繋ごうとした彼の決断は、現在の演芸界においても高く評価されています。