Q1:明智光秀の正確な命日と享年は何歳ですか?
A1:命日は天正10年6月13日(西暦1582年7月2日)です。享年については、享年55歳説(享禄元年/1528年生)と享年67歳説(永正13年/1516年生)の2大説があり、近年は55歳説が有力視されています。
Q2:小栗栖で光秀を襲った農民の正体は記録に残っていますか?
A2:小栗栖の土民である「長兵衛」あるいは「飯田一党」と伝えられています。後世の記録では、長兵衛が竹槍で光秀を突き、その功績で秀吉から恩賞を賜った、あるいは逆に祟りを恐れて隠遁したなど様々な伝承が残されています。
Q3:なぜ光秀は本拠地の坂本城まで逃げ切れなかったのですか?
A3:勝竜寺城から坂本城までは約40キロメートルの距離があり、夜間の山道を進む必要がありました。加えて秀吉軍による追撃の手が早く、さらに街道沿いの村々が落ち武者狩りの罠を張っていたため、小栗栖(約15キロ地点)で退路を断たれました。
Q4:明智光秀の首は最終的にどうなったのですか?
A4:小栗栖の土中に埋められた首は秀吉軍に回収され、山崎の陣で首実検された後、本能寺あるいは粟田口で磔にされて晒されました。その後、光秀を偲ぶ家臣や僧侶らによって各地の首塚に手厚く葬られました。