浪越徳治郎は1905年(明治38年)11月3日、香川県多度津町に生まれました。7歳のとき、一家で北海道虻田郡留寿都村(るすつむら)へと開拓移住を果たしますが、寒冷地での過酷な開墾作業と長旅の疲労から、母・マサが全身の多発性関節リウマチを発症してしまいます。医者も薬もない過酷な環境下で、幼い徳治郎少年は激痛に苦しむ母を少しでも楽にしたいと、母の身体に触れ続けました。
最初は撫でたり擦ったりしていたものの、試行錯誤を繰り返す中で「手のひらで包み込み、親指でリズミカルに圧を加える」手法がもっとも痛みを和らげ、身体を温めることに気づきます。懸命な施術を続けること数ヶ月、母の病状は奇跡的に快方へと向かいました。この原体験こそが、のちに世界を席巻する浪越指圧療法の原点であり、不朽の名言「指圧の心は母心、押せば命の泉わく」の源流となったのです。
青年となった徳治郎は上京してあん摩・マッサージ・柔道整復を学び、解剖生理学に基づいた独自の理論を構築。1925年(大正14年)に北海道室蘭市で「指圧療法所」を開設し、1940年(昭和15年)には東京・小石川に現在の日本指圧専門学校の前身となる「日本指圧学院」を設立しました。当時の手技療法が法的に未分化だった時代において、あん摩やマッサージとは異なる独立した医術としての「指圧」の法制化に奔走し、1955年の法改正・1964年の法独立化という金字塔を打ち立てました。