関ヶ原の戦いにおける功績により、土佐一国を治めることとなった武将、山内一豊。彼が慶長6年(1601年)から築城を開始したこの城には、敵の侵攻を食い止める数々の仕掛けが施されている。その代表格が、城郭の玄関口にあたる追手門だ。一見すると開放的な門構えに見えるが、実は侵入した敵軍を石垣と多門櫓で三方から囲い込み、一斉射撃を浴びせる「枡形(ますがた)」構造が緻密に設計されている。
さらに天守閣へと続く石段に目を向けると、一段一段の高さや奥行きが無作為にいびつな形状をしていることに気づく。これは侵入者の歩幅を狂わせ、駆け上がりにくくするための防衛策だ。天守内部には、忍び寄る敵を突き落とす「石落とし」や、鉄砲を構えるための隠し「狭間(さま)」が巧みに配置されている。激しい豪雨に見舞われる高知の気候に対応するため、強固な排水機構「石樋(いしどい)」が突出している点も、他城には見られない山内一豊の知恵と工夫の結実といえる。