沖縄の裏社会の歴史は、本土復帰を前後する激動の時代とともに形作られました。米軍統治下にあった沖縄では、コザ派や那覇派といった地域ごとの不良グループが台頭し、米軍物資の利権や歓楽街の覇権を巡って衝突を繰り返していました。この群雄割拠の状況に終止符を打ち、1970年に沖縄の諸派が結集して結成されたのが「旭琉会」(当時の名称)です。
統合の最大の動機は、本土復帰を見据えて沖縄進出を狙っていた山口組をはじめとする本土系広域暴力団への危機感でした。「沖縄の利権は沖縄の手で守る」という強烈な防衛意識が、対立していた各派を一つにまとめ上げたのです。しかし、結成後も内部の主導権争いは絶えず、凄惨な流血劇を伴う内部抗争が繰り返されることになります。
1980年代から1990年代にかけては、組織の分裂と激しい対立抗争が激化しました。特に1990年に勃発した「第6次沖縄抗争」では、市民や私服警察官が巻き添えになって射殺される痛ましい事件が発生。この事態が引き金となり、1992年の暴力団対策法(暴対法)制定へと日本社会全体が大きく動く契機となりました。